旅行記 > ホテボラ2005 > ホテボラ2005 ホントの理由編

家族旅行を決めたホントの理由

今回の旅行は、いつもの夫婦旅行ではなく、私の父と妹が一緒の家族旅行となる。
元々、うちのダンナとは、いつか両親をタヒチに連れて行きたいという話はしていた。
とはいえ、旅費のことやら現実的な話で「いつか」のままになっていたのが正直なところである。

しかし、世の中、いろんなことが起こるもの。
2004年1月31日 母が亡くなった。母を連れていくチャンスは永久に失われてしまった。。。

時は、2003年の秋、私が年末年始のタヒチ旅行の準備でワクワクしていた頃にさかのぼる。

青天の霹靂

10月の終わり、妹から母が緊急入院したというメールが届いた。
病院で説明を受けた時、医者が何のことを話してるのか分からなかった。
あと1年!? あり得ない、嘘だと叫びたいのに声が出ない。
「青天の霹靂」ってこういう時に使うのかも、なんて訳の分からないことを思っていたことは覚えている。

タヒチ旅行は順延

ものすごく、ものすごく、ものすごく、楽しみにしていた年末年始の旅行。
憧れのホテボラ水上バンガロー。キアオラでの新年の花火。それからそれから…。
どうしても行きたかった。。。。。
けど、手術が成功して母が元気になれば、心の底から楽しめる旅ができるはず!と信じて、5月に延期した。

闘病の日々の始まり

12時間におよぶ手術は無事に成功した。あとは、母が元気になることを祈るのみ。
年末からはずっと病院と会社と家を行ったり来たりの毎日で、なかなかに忙しい。

3月。母の体調は思わしくないが、とりあえず退院できることになった。

北陸旅行

母の誕生日に退院祝いも兼ねて北陸に行くことにした。
出発前に病院に寄り、退院後初の検査結果を聞くことになっていた。
結果は、転移。ショックだった。でも、母は旅行に行くと言う。
家族全員が楽しい旅にしようと頑張っていたような気がする。

GWに向けて

母の体調は思わしくなく、出発日が近づくにつれ、行くべきか迷っていた。
母は年末年始のキャンセルを気にして、今度こそ楽しんでこいと言う。

そして、タヒチへ出発の日、母は再入院した。

タヒチにて

海外用の携帯電話をレンタルし、タヒチから毎日電話をした。
あまりにも電話の音声がクリアで、まだ日本にいるの?と言われた。

それなりに楽しんだと思う。でも、やっぱり心の底からとは言えない。
母が入院してるのに、こんな南の島にいる罪悪感。後味の悪さが残った。

入院の日々

写真を見せながら、旅先でのいろんな話をした。母は楽しそうに聞いてくれていた。
1週間ごとに写真を入れ替えたりして、入院仲間や見舞い客に見せたりしているようだった。

母の抗ガン剤治療がつづく。副作用もひどく、見ているのもつらい。
驚くほどに痩せた母は、自分の姿を昔の知り合いに見られたくないと自分からは会おうとしなかった。

それなのに、お盆に墓参りに行きたいと言う。
かなり苦しいはずなのに、これが最後のチャンスと思っているのかもしれない。
母の田舎では兄弟がみんな出迎えて、涙・涙の再会となった。

退院\(^^\)(/^^)/

秋になり、医者が驚くほど良い検査結果が出た。
苦しい治療の甲斐があったと家族みんな大喜びだった。

11月に入り、来年のGW旅行を手配した。
今度こそ、楽しいタヒチ旅行ができますように。

ふたたびの暗雲

年の暮れが近づくにつれ、母の体調が悪くなり、年末にとうとう再々入院することになった。

病院での検査結果は今までにないほど最悪のものだった。
でも、まだあきらめずに治療を続けることを決める。

お正月は家族で

お正月は、家族みんなで実家で過ごすことになった。
大晦日の紅白、年越しそば、なんと天満宮に初詣まで行った。
おせちやお雑煮、おいしいおいしいといっぱい食べていた。

今から思えば、嘘のような、夢のような、お正月だった。

親戚に母に会いに来るように連絡を取った。
なぜか、私たち家族も親戚のおばちゃんも、ばたばたと急いで準備した。
急な連絡だったのに、たくさんの人が集まった。
これが最後のチャンスだと何となく分かっていたのかもしれない。

最後の1週間

なぜこんなに急に容体が変わっていくのか不思議で仕方なかった。
坂から転がり落ちるように、どんどん加速していくのがはっきりと分かる。
昨日は歩けてたのに。昨日は食事できてたのに。昨日は私に話しかけてくれたのに。
そばで見てるのがつらくて、病院の消灯時間になるのが待ち遠しかった。

お別れ

最後の日、早朝の父からの電話で、すぐに病院に向かった。
母はすでに昏睡状態で、声をかけてももう返事はない。
数時間後、母は逝った。
命の後わりってこんなにあっけないものなのかと思った。

通夜だの葬式だのやることがいっぱいあって、逆に救われてるような気がする。
出棺の時、母がずっと大事に飾ってくれていた、ボラボラの写真を入れた。

家族旅行に行こう!

お葬式から1週間、ようやくいろんなことが考えられるようになってきた。
ダンナが、GWのタヒチ旅行は家族みんなで行こうと言った。

今のこの状況で行けるかなんて考えたら、これからずっと行けないまま。
来年、再来年、どうなるかなんて誰にも分からない。
「いつか」なんて言葉はもう信じられない。「今」やれることは「今」やった方がいい。
今はそんな気持ち。